テセウスの船のパラドクスと生命の定義

 

このコロナ下でドラマの撮影がストップしてしまい、

 

4月から放送を開始する予定であった作品の放送が延期となった。

 

その穴埋めとして過去のドラマが多く再放送されている。

 

愛していると言ってくれ」のような20年以上前の名作を見られるのももちろん魅力的であるが、

 

最近の作品でも、回を重ねるごとにネットニュースを騒がせていた作品を再放送してくれているのはありがたい。

 

その作品の1つは「テセウスの船」である。

 

このタイトルはギリシア神話の1つのパラドクスから由来し、

 

最終回で明かされたタイトルと物語のつながりは特に話題になった。

 

そもそも「テセウスの船」のパラドクスとは、

 

ある物体において、それを構成するパーツが全て置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否か、という同一性の問題をさす。」(Wikipediaより引用)

 

 

ドラマの内容も踏まえ自分なりの答えを探していたところ、

 

偶然手がかりとなるような文章を見つけた。 

 

それは青山学院大学で教授もされている福岡伸一先生の「生命とは何か?」という文章である。

 

福岡先生の幼少期からの夢は「生命とは何か?」という謎を解き明かすことであった。

 

長年の研究を経て、先生が出した答えは、生命は「動的平衡」であるということだ。

 

私たち人間は毎日時間の経過とともに細胞をどんどん入れ替えている。

 

したがって、1年前の自分と現在の自分は物質的な観点から見ると全くの別人である、といえる。

 

古い細胞を捨て、新しい細胞が入ることを繰り返し、

 

バランスをとりながら私たちは私たち自身の形を保ち続けているのだ。

 

動的平衡」はこの「動きながらもバランスを保つ」ということから名づけられた。

 

動的平衡は生命以外のものにも当てはまる。

 

例えば野球チーム。

 

古い選手が引退したり、新しい選手が入ってきたりと、数年前と現在では全く違うチームである。

 

しかし、チームの伝統や文化を継承することでバランスを保ち、同じチームとして続いていくのである。

 

他に挙げられているのは法隆寺だ。

 

法隆寺の例はテセウスの船とピッタリ当てはまるのではないだろか。

 

法隆寺も建物の部材を少しずつ入れ替えながらも、構造は飛鳥時代から変わらず現代まで同じ形を残している。

 

 

「生命とは何か?」を読んだ上で私が出したテセウスの船の結論は

 

過去のそれと今のそれは「物質上」同じものとは言えないが、

 

同一のものとして「認識してよい」ということだ。

 

物質上全く別物になってしまっても、人間、法隆寺、野球チーム、

 

それらが遺した功績や価値は同一のものとして語り続けられるからである。

 

 

だからもしギリシアの哲学者たちに言葉が届くのであれば、

 

家族や友人を大切にするように船を大切にし続けてほしいと伝えたい。